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パンダと坐禅

ンダと坐る。


私は物心ついた時から生き物が好きで、昆虫に始まり、哺乳類、爬虫類、両生類、魚類と、さまざまな生き物に心をひきつけれられていました。図鑑にかじりつき、野山や川で生き物を探し、飼育できるものは飼ってみて、子供なりにいつも追いかけていました。

水槽の中で繰り広げられる魚やエビの縄張り争いや求愛行動、エサの摂り方などを毎日何時間も飽きずに眺めているような子供でした。

相変わらず今でも、生き物を見るのが好きです。


どうしてそんなに好きだったのか、多分人間を知りたかったのかもしれません。

人間ってなんなのか、自分って何なのか、世界って何なのか。

だから多分、身近な人間以外の生き物を、みていたのだと思います。


そして、坐禅をしながら自分を人間一匹、猿一匹として観察しています。



坐っているときは、色々なことを観察します。

自分の感覚や意識を、主観と客観を行き来しながら観察したり。

自分の思考や欲求、常識の源泉を探索したり。

一匹の猿として、群れの中での自分を俯瞰してみたり。


目の前の木の葉の揺れを、ただ受け入れていたり。

虫の音の繊細な旋律と一つになったり。

雲や水、風や種、月や星の時間軸を体感したり。



さて、パンダは人間と比べると大きな熊です。

とはいえ、そのほかのすべての生き物と比べると、ホモサピエンスに近しい存在です。

動きも比較的ヒトと似ています。


私は、比較をすることで分かる生き物です。

私と似たもの同士のパンダと一緒に坐れるのは願ってもないことです。


パンダを観て、

パンダに観られて、

パンダになって竹を食べて、

パンダになって坐ります。


品部 東晟


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