結ぶことで始まる
結界石を作るとき、私はまず紐を撚ることから始める。
麻の表皮をきれいに乾燥させた、金色の精麻。
その繊維を捻りながら重ね合わせ、摩擦によって、二本の繊維の束を一本の紐へ撚っていく。
そして、できた紐を石に結ぶ。
繊維を一本の紐にするにも、紐を石に結ぶにも、二つのものを一つにするときには摩擦を使う。
摩擦があることで、一つにかたちをとどめている。
なんだか人間関係にも似ている。
「結ぶ」という日本語には、物理的な動作以上のものが重なっているように感じる。
縁を結ぶ。
関係を結ぶ。
「結ぶ」には、自分から何かを始める響きがある。
自分の意思で手を伸ばし、何かと何かのあいだに新しい関係をつくる。
そこから、それまでにはなかった物語が始まる。
けれど、「結ぶ」と「結ばれる」では、少し様子が変わる。
「結ばれる」となると、自分が選んだわけではないのに、いつの間にか誰かや何かとの関係の中にいる。
自分の作為の外側から、否応なしに物語が始まってしまうような、不思議な響きがある。
そこには、喜びだけではなく、ときにはこれから始まる物語への期待や、不安や恐れも混じっているかもしれない。
そして面白いのは、「結ぶ」が始まりだけではなく、終わりも連想させることだ。
「締めくくる」という言葉がある。
何かを締めくくると、その物語はいったん終わる。
けれど「締めくくる」という行為は、束ね、結ぶことでもある。
結ぶことで始まり、
結ぶことで終わる。
始まりと終わりは、反対のことのように見える。
けれど、同じ出来事を違う側から見ているだけなのかもしれない。
何かが始まるとき、そこでは同時に、それまでの何かが終わっている。
何かが終わるとき、そこからすでに、別の何かが始まっている。
始まりと終わりとは、同じことなのかもしれない。
一本の紐になるためには摩擦がいる。
結び目がほどけないためにも摩擦がいる。
摩擦があることで、一つの形をしばらく保っている。
人間関係も、案外そんなものなのかもしれない。
二本の繊維を撚って、一本の紐にする。
その紐を、石に結ぶ。
結ぶことで始まり、結ぶことで終わる。

品部東晟

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