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【禅語】弄花香満衣(はなをろうすれば こうえにみつ)

国は唐の時代の詩人、于良史の「春山夜月」という美しい詩の一部の、「水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ」という一節が、禅語として知られています。

「春山夜月」という詩は、春の山の素晴らしさを詠んだものと言われています。意訳してみると、春の山を、自然と一体となって楽しむ詩人の姿が浮かんできます。


ーーーー「春山夜月」:意訳

春の山は素晴らしいことが多く、一つ一つ愛でていると帰るのを忘れてしまいます

思わず水を手ですくうとそこに月が映り、花と戯れていると衣が花の香りで満たされています

心が浮かれるままに身を任せ、草花を愛でてどこまでも行きたい

鐘の音が鳴り南を望むと、鐘楼が草木の芽吹きに包まれてたたずんでいますーーーー


さて、このうち「水を掬すれば月手に在り、花を弄すれば香衣に満つ」の部分は、なぜ禅語として捉えられているのでしょうか。それはこの一節が、「自分と他者という分別を超えた、自他がひとつになった境地」を美しく表現しているものだから、と理解されています。

空に浮かぶ月が、自分の手の中に浮かんでいること。戯れていた花と、自分とが同じ香りを放っていること。つまり、見る者と見られる者、あるいは主観と客観は、実は一つである、という禅の境地を端的に表現しているからでしょう。

そういう視点で日常を観察してみると、私たちのなにげない日常のなかからも、象徴的な光景を切り取ることができるかもしれません。楽しみ方の一つとして。


品部東晟


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