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秋月照湖上(しゅうげつ こじょうをてらす)

  • 執筆者の写真: 葵 品部
    葵 品部
  • 2024年11月21日
  • 読了時間: 2分

更新日:1月7日


しい秋の月が、静かな湖の水面に映っている情景をあらわす禅語です。


この禅語に触れると、僧堂での夜坐(夜、消灯後にする坐禅)をおもいだします。


ある夜、私はいつも通り縁側で夜坐をしていました。その夜は風のない満月で、庭に向かって坐っていました。

庭の池の水面は鏡のように静かで、水面に美しく輝く満月は、空に浮かぶ満月とおなじように微動だにせず、月明かりの世界をそのまま写しています。

坐っていると、少し風が吹きました。池を見ると、かすかに揺れた水面の満月は崩れ、揺れる光になっていました。



坐禅をしていると、今この瞬間の現実をありのままに感じようと思っても、気持ちがざわついて、そうできないことがよくあります。


揺れる光を眺めていた私は、ああそうかと気づきます。

月は、ありのままの現実。水面は、自分の心。自分の思考や感覚や衝動が心を揺らして、現実をありのまま見ることすらできてなかったんだなと。


とはいえ、風は吹くし、思考や感覚や衝動もあるのも現実。さてどうするか。


ありのままの現実に身を委ねるために、もろもろのざわつきを手放すために、まずはそのざわつき自体を、納得いくまで観察してみようか。

何に気が散ってしまうのか、どのように反応してしまうのか、何を考えるのか、そしてそれはどうしてなのか。気が済むまで観察してみよう。


そう思い、また静かに夜坐を続けました。


そしてその後、気が済むまで観察したことについては、手放すことができるようになるということを、徐々に実体験していくのでした。




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